月子の日記

H S P な50代主婦の今までとこれから。

娘の反抗期中の12回目の誕生日

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久しぶりのブログ。

全く書く気にならなかったのは、疲れていたから。何に疲れたかというと、娘とのプチバトルな日々に疲れていた。

 

小学6年にもなると、身長も親に迫ってきて、自立の練習なのだか知らないけど、反抗的な言葉使い、態度、不機嫌。そのくせ、都合の良い時だけ甘えたり助けを求めてきたり。HSP度が高い私は、そんな娘の不安定をモロに受け、一緒になって、上がったり下がったりする。同じ世代の関心するママは、そんな反抗期の子供を、丸っと受け止め、包んであげている。私ときたら、そんな器あるかな・・・?って心配していた通り、やっぱり器が小さかった。娘の気分の振り回され、ヘトヘトになって、もう投げやりになっていた。

 

そんな中に、彼女の誕生日が迫っていた、やばい、、、祝ってあげる気持ちにならない・・・そんな気持ちをぽろっっと知り合いに口を滑らせてしまった。「なんてこと言うんですか。なんて母親なんですか。ちゃんと祝ってあげてください!」と怒られた。

そう、ごもっとも・・・そうなのよ、母親として、ちゃんと祝ってあげたい(涙)

 

言い訳をする訳ではないけれど、ちゃんと祝ってあげたい気持ちは人並み以上にある。でも、年頃の子に対しこちらは、ある程度の距離をとりながら、気を使い、言葉を選び、慎重に接しているのに、それに対し、親に対し、「 は? 」とかの一言のリアクション・・・そして瞬間湯沸かし器のようにすぐにキレる。

 

この子、誰が育てたん?(私)一体どーなってんの? 昭和なら、ちゃぶ台ひっくり返してまっせ(怒)

 

私に忠告したママさんも、私や娘のことを思って、はっきりと、そう言ってくれたものわかっている。

 

しかしながら、ギクシャクしている母子関係で、楽しい誕生日を送れるわけがない。彼女自身も、私に反発したり、イライラする一日だったので、誕生日当日は、「いいことなかった・・・」と漏らしていた。

 

 誕生日会(家族での)は、週末にしようと決めていたので、昨日はお祝いの日。

 

母は(私は)蘇った。娘が誕生日に、「いいことなかった。」と漏らしたことも助けになり、これではいけないと思った。その後、私は考えを180度変えることに成功した。

 

私は、さまざまなストレスや執われていることから離れたいと思っていた。しんどかったから、そこから抜け出したかった。この数年の悩みと疲れは、娘に対するものだった。娘が、不登校になってしまったこと。娘は発達のグレーゾーンであること。そのことで、日々の生活が、思い描いていたものと違った。思ってたんと違う。私は、そこに執拗に執われた。

 

でも、、、これって、、、

もし彼女が、不登校でなくても、発達グレーじゃなくても、私は違うことで、悩んでいたのかもしれない。これは娘の問題ではなく、そこに執われている自分の問題だったのではないかということに気づき始めた。そして、今、娘との日々を思ったとき、彼女を通して、私は自分自身と向き合わざるを得なくなっている。うーむ。深い。子育てとは、子供を育てているように見えて、実は親が育てられている。と聞くけど、私もそうだったのか・・・

 

そういう感覚になってから、体が軽くなった。あんなに動くのが億劫で、家事もなかなか思うように進まず、やる気も出ず、どうやって子供の誕生日を祝ってあげられるのか、不安だったのに、スイスイと体が自然と動く。そして時間もうまく進む。ささやかながら楽しいお祝いができた。

 

そして、娘は言った。

「あーーー最高の日だった。幸せ。嬉しい。」

そういって、大人と子供のはざまの、思春期の、はにかんだ、でもキラキラの、 あの笑顔を私に向けてきた。赤ちゃんじゃない、一人の人間になろうとしているあの顔。

 

問題や困難に対しては、心を紐解いていくしかない。

歩くのがいい、とか 体を動かすのがいい、 ということは わかっているが、それもできなくなるぐらい疲弊する。実際、歩くと少しすっきりするが、問題は解決していないので、その後また しんどくなるの繰り返しだった。

 

結局、私が、自分と向き合った結果。

昨日は、彼女と一度もぶつかることはなかった。