50代、まずは年賀状をやめた話
50代に突入し、辞めたことは、まず年賀状。
49歳の時に、これで最後にしますと、全員に印刷し、出した。
それからも、まだ送ってくる人は、しっかり読んでくれてないのだな。。。と
私もしっかり読んでなかったので、そのうように明記している方に続けて送ってしまった過去があるので、気持ちはわかりますよ。
が、これは、うざい(笑)私もやらかしてました。
高校卒業してから、一度も会っていない人の、子供の成長、家族のハワイ旅行(妬みしか感じない)バレエの写真(誰が興味あるねん)を、ずっと送らつづけられてきた。見たことも会ったこともない子供が大人になるまでの写真。いったい、どういうつもりだろうか(笑)
という風に、色々と苦労の割に、心のないやりとりが、苦痛で仕方なかった。本当に手紙を書きたい人は、書きたいときにお便りしよう。会いたい人には、会いたいね、と書くより、会いにいこう。と決めた。
すっきりしている。やめてよかった。
書かないことで、楽しい年越し♫
娘の反抗期中の12回目の誕生日
久しぶりのブログ。
全く書く気にならなかったのは、疲れていたから。何に疲れたかというと、娘とのプチバトルな日々に疲れていた。
小学6年にもなると、身長も親に迫ってきて、自立の練習なのだか知らないけど、反抗的な言葉使い、態度、不機嫌。そのくせ、都合の良い時だけ甘えたり助けを求めてきたり。HSP度が高い私は、そんな娘の不安定をモロに受け、一緒になって、上がったり下がったりする。同じ世代の関心するママは、そんな反抗期の子供を、丸っと受け止め、包んであげている。私ときたら、そんな器あるかな・・・?って心配していた通り、やっぱり器が小さかった。娘の気分の振り回され、ヘトヘトになって、もう投げやりになっていた。
そんな中に、彼女の誕生日が迫っていた、やばい、、、祝ってあげる気持ちにならない・・・そんな気持ちをぽろっっと知り合いに口を滑らせてしまった。「なんてこと言うんですか。なんて母親なんですか。ちゃんと祝ってあげてください!」と怒られた。
そう、ごもっとも・・・そうなのよ、母親として、ちゃんと祝ってあげたい(涙)
言い訳をする訳ではないけれど、ちゃんと祝ってあげたい気持ちは人並み以上にある。でも、年頃の子に対しこちらは、ある程度の距離をとりながら、気を使い、言葉を選び、慎重に接しているのに、それに対し、親に対し、「 は? 」とかの一言のリアクション・・・そして瞬間湯沸かし器のようにすぐにキレる。
この子、誰が育てたん?(私)一体どーなってんの? 昭和なら、ちゃぶ台ひっくり返してまっせ(怒)
私に忠告したママさんも、私や娘のことを思って、はっきりと、そう言ってくれたものわかっている。
しかしながら、ギクシャクしている母子関係で、楽しい誕生日を送れるわけがない。彼女自身も、私に反発したり、イライラする一日だったので、誕生日当日は、「いいことなかった・・・」と漏らしていた。
誕生日会(家族での)は、週末にしようと決めていたので、昨日はお祝いの日。
母は(私は)蘇った。娘が誕生日に、「いいことなかった。」と漏らしたことも助けになり、これではいけないと思った。その後、私は考えを180度変えることに成功した。
私は、さまざまなストレスや執われていることから離れたいと思っていた。しんどかったから、そこから抜け出したかった。この数年の悩みと疲れは、娘に対するものだった。娘が、不登校になってしまったこと。娘は発達のグレーゾーンであること。そのことで、日々の生活が、思い描いていたものと違った。思ってたんと違う。私は、そこに執拗に執われた。
でも、、、これって、、、
もし彼女が、不登校でなくても、発達グレーじゃなくても、私は違うことで、悩んでいたのかもしれない。これは娘の問題ではなく、そこに執われている自分の問題だったのではないかということに気づき始めた。そして、今、娘との日々を思ったとき、彼女を通して、私は自分自身と向き合わざるを得なくなっている。うーむ。深い。子育てとは、子供を育てているように見えて、実は親が育てられている。と聞くけど、私もそうだったのか・・・
そういう感覚になってから、体が軽くなった。あんなに動くのが億劫で、家事もなかなか思うように進まず、やる気も出ず、どうやって子供の誕生日を祝ってあげられるのか、不安だったのに、スイスイと体が自然と動く。そして時間もうまく進む。ささやかながら楽しいお祝いができた。
そして、娘は言った。
「あーーー最高の日だった。幸せ。嬉しい。」
そういって、大人と子供のはざまの、思春期の、はにかんだ、でもキラキラの、 あの笑顔を私に向けてきた。赤ちゃんじゃない、一人の人間になろうとしているあの顔。
問題や困難に対しては、心を紐解いていくしかない。
歩くのがいい、とか 体を動かすのがいい、 ということは わかっているが、それもできなくなるぐらい疲弊する。実際、歩くと少しすっきりするが、問題は解決していないので、その後また しんどくなるの繰り返しだった。
結局、私が、自分と向き合った結果。
昨日は、彼女と一度もぶつかることはなかった。
断捨離
プチ断捨離した。
ハロウィーンの使わなかったグッズから始まり、今年夏に着なかった服、来年着ない服を衣替えのついでに。大掛かりにやると疲れるし、そこまでやる気も起きないので、文房具とか、キッチンの引き出しを、ちまちまとやってみた。それでもゴミ袋はいつもの2倍ぐらい。プチ断捨離にしては、まあまあ頑張ったような気がする。
棚の扉の中の不用品を片付けるだけなので、終わったあと、部屋を見渡すも何も変わっていない。
全く達成感なし。
これを続けていくと、部屋がすっきりして使うものが収納に収まっていくのか????
ミニマリストを目指している訳ではない(本当は憧れている)が、私は、掃除がしたい。物をどかしての掃除がとても苦手。夫は物があろうがなかろうが掃除機をバンバンかけるタイプ。私は、散らかった物をいったん全部片付けてから、一気に掃除機をしたいタイプ。できれば拭き掃除とセットで。
物が多く、床に何か置かれていると掃除ができない。しずらい。
掃除がしたい。
断捨離し、収納には使うものを入れ、使わないものとは、ちゃんとさよならしたい。
続けていくしかない・・・
断捨離の神様仏様
続けていくと、何か見えてくるでしょうか。ついでに心の掃除もできるでしょうか・・・
ハロウィンの飾り付けやめた結果
ハロウィーンが通り過ぎた。飾り付けも今年はせず、娘が姪っ子の家で、コスプレをするために自分でTシャツに装飾をつける衣装制作を少し手伝ったくらいなもので。パリピぎみだった自分がどうしてここまで、何もしなくなったのか。。。気づけば小4の息子も、もう、コスプレも要らないという。小学高学年にもなるとそんな感じなのか。少し寂しいけど、劇的に気持ちが楽。
お祭り騒ぎは嫌いじゃなかったけど、やっぱり人の多いところは、子供の頃から苦手だった。もうこれからは、ささやかな、自分の中での、祭ごとでいいかな。
ご近所でママ友と集まって、子供たちを練り歩かせる、ハロウィーン・パーティーもコロナで開催されないまま、、、
だけど、それも正直、ホッとしている。
ママ友とつるむと、疲れてしまう。いや、いい人たちばっかりで、情報交換もでき、教えてもらうことも多い。なので、自ら望んでその輪に入っていった。
常識の範囲内での会話。悪口、愚痴。作り笑いと、時々マウント。終わったら身も心もくたくたになっている。(あくまでもこれは私個人の問題である)気を使いながらの、談笑タイム。お茶タイム。
子供同士のやりとりにも気を使う。我が子がちゃんとできているか気になってしまう。我が子はコミュニケーションが下手すぎる。気づけば一人になってることもあるし、はみられることもある。
『ママはどうして、あんなに、誰とでもお話できて、お友達が多いの?」
って、言われるけど、、蓋を開けたら、疲れ切った私がいるんだから、大したことないよ。ってこと。
友達が多いなんて、、大したことない。顔見知りが多い。と言い換えようか。
この人の顔がみたい!会えてないから寂しい!て思える人。数名いればいいと思う。それで充分。
キラキラしているように見えるその影の部分ってある。
子供には、夢を壊さないように、でも、真実の部分も、肌で感じつつ
私のようないびつな人間関係ではなく、自然な人付き合いできる大人になってくれたら嬉しいかな。
そう言えば、以前、家の中をハロウィンの飾り付けしてたのは、そういうふうにやってる自分を高く評価してもらいたかったからかも・・・子供を喜ばせているいいお母さんと言われたかったのかも。飾り付けした家にこれ見よがしに、ママ友をお茶に誘ったり。あれは私が、ママ友にマウンティングしてたのかもしれない。
マウンティングうんざり・・・
私も知らず知らずにやってたのかも・・・いや、やってたな。あれは。
一応、ハロウィングッズをまとめている袋から、娘が必要なものを探すために出してみた。その中で、あ、、かわいい💓 と思えたこの三つだけ。スカルは夫が子供の紙粘土で作ったやつ。あと二つのカボチャのロウソクは全く記憶にない・・・どこかで見つけてかわいいから買ったのか、子供の手作り?もらった?この頃、記憶喪失にも程がある。今年のハロウィーンは、この3つを出したその日に片付ける。来年はこの3つだけで、あとは断捨離しよう。あー、もったいない(涙)
でも、
自分をよく見せるためのグッズとは、おさらばじゃ。
ダルダルの日とハキハキの日
明石タコとフレッシュなトマトの
ガーリックパスタ・パクチー乗せ
朝の目覚めから、ダルダルな日と、すっと起きれてハキハキ(テキパキ?)と動ける日とある。
更年期の症状がある時はだいたいダルダル〜から、無理矢理、自分を起こして、子供を起こす用意をする。ハキハキな日は、おや?私イケてるかも?って、朝のルーティンからお家のお掃除を頑張ってみたり、、
今日は月曜日なので、世の中のほとんどの人がダルダル〜からの朝をむかえてるだろう。
私は、毎週月曜の自分がどうなっているのか、、おそるおそる起きる。まるでサイコロを振るように自分の体調を見ている。
月曜日、私の娘は、心と体(発達)がアンバランスな子供へ向けての支援教室へ週一で通っている。そこへは、保護者の送迎が必要なので、どんなにダルダルでも行かなければならない。
今日のサイコロの目は、ダルダル、、
まあ、月曜日はそれが出る確率がたかい。どなたでもそうでしょう・・・
娘も全く起きてこない・・・。
エンジンのかからない母親(私)から、エンジンのかからない娘がアクセルを踏まれて、二人ともほぼ半眼で支度をする。(そんな状態でもいけるようになった娘に拍手してあげたいところ)
↑
というここまでの記事を月曜日に書いて、もうすでに金曜になってしまった。
どなたかみてくれようと見てくれまいと、毎日ブログを書こうと決めてたのに。
ほんとに意思が弱い。
娘が支援教室に行っている間。1時間とちょっと、一人になれる。以前はその時間に、夕飯の買い物だの、用事を済ませて、迎えに行っていた。買い物したものが、大荷物になる時があるので、一旦家に帰ってから迎えに行ったりしていた。1時間とちょっとのせっかくの一人時間は、やらないといけないことで、あっという間。心も体も余裕がなかった。帰り道は反抗期に入りつつある娘に、何を提案しても否定的な返事ばかりで、イライラしたり、お互いに気まずい雰囲気だった。喧嘩して、娘が先に走って帰ってしまうこともしばしば・・・彼女も母から、色々言われて嫌だったと思う。月曜のやる気のない午前中から、お昼には、疲れ果てているという、悪循環。
でもある時、この1時間を自分の楽しみの時間に充てることにしてみた。
贅沢だからと禁じている、スタバでコーヒーを飲んだり、
通りの花屋で、家に飾るお花を買ってみたり、
本屋で好きな本や雑誌を物色してみたり、
生きることを楽しむために。少しの贅沢を味わってみる。
普段ゆっくりできないことも、この隙間時間を楽しんでみることにした。
そして今日もイレギュラーの支援教室の日だったので、今週はこれが2回目の小贅沢時間・・・近くの古民家カフェでこれを書いている。
こういう、ささやかな贅沢が、日々のややこしい出来事や、にっちもさっちも行かない脳を、一旦休ませてくれるのではないかと、感じている。
青空とたわわなザクロ
親友の命日
10月は、色々と縁のある月。
親友が亡くなった月でもあり、
祖母の祥月命日でもあり、
姪っ子の誕生日でもあり、
夫の前妻の祥月命日でもあり、
私の誕生月でもある。
だからなのか、、色々と考えさせられる月。
金木犀の話題をInstagramやブログでもちらほら見る季節。
秋に甘い香りが漂ってくると、それらの縁(えにし)のつながりを感じる。。。
親友は10月に亡くなった。40代前半。まだ若かった。
でも、強烈なパッションで生き、走り抜いたような命だった。
彼女とは中学2年にクラスメートになり、お互いに惹かれあった。
彼女は、悲しい時、寂しい時に、よく私に会いにきた。
ある晩、話しを聞いてくれと、彼女が現れた。多分あれも秋頃だったと思う。家から少し離れたところで、いわゆる思春期の悩みを私が聞いていただけだった。自宅では夜中に私が家からいなくなったことで、大騒ぎになっていた。午前1時前になっただろうか、時計は持っていなかった。もう随分遅くなっただろうから、尽きることない話を終えて、とぼとぼ二人で家に帰る途中だった。私たち二人を見つけた父が、鬼の形相で怒鳴りながら近づき、私を思いっきり叩いた。そして父は、彼女の顔を両手で挟んで、真剣な顔で言った。「これから先、こういうことがあるなら、友達付き合いををやめさせることになってしまうぞ!」と。彼女は「、はい。おじちゃん、ごめんさい。」と言ったと思う。父の車で彼女の家まで送る間、二人は暗い後部座席で手を握り合った。少し震えていた。
後日、彼女は私のことをうらやましがった。
心配してくれる親がいて、
真剣に怒ってくれる家族がいることを。
逆に私は、彼女の感性が羨ましかった。
彼女の持って生まれた鋭い感性と器用さに憧れた。
心は不器用だったけど、そんなところは、ほっとけなかった。
彼女の生前、若かりし20代の頃。
サルバドール・ダリの画集に、自らのサインしをして渡してきた。
プレゼントではなく半永久的に私に渡しておく。て言っていた。
今はその画集が彼女の遺品であり形見になってしまった。
私は当時、ダリの奇抜な作品集を理解することができなった。
彼女は、私に言いたかったと思う。
着飾ること、自分を飾っていること、
私の好きな月子は、そんなんじゃないよ、って。
親友だから、時々会いにくるけど、
今のあなたは会いたい月子ではない。
でも、月子は優しいから甘えたい。
私を励ましてよ!って。
彼女と私の感性の戦いは、
いつも私が負けていた。
でも、私はまだ生かされている。
命日にダリのTシャツを着て過ごしてみた。
今なら少しは
彼女が会いたい月子に、なれている気がする。
しみしわもご愛嬌。それが私。
今日は昨日の雨からの曇天。
曇天もなかなか良い。
朝起きたら、自分の心と体がどうなっているか、恐る恐る確認。
よし、今日は元気そう。
生きるパワーありそう(笑)←自信ない(笑)
数年前に、とある漢方薬剤師さんに、「生きるパワーが薄い」と言われた。
そう、私にはパッションがあっても、パワーがない。
中山きんにくんが羨ましい。
日々の暮らしにも支障をきたすので、なんとか自分を変えたくて、模索してきた。色々と努力したけど、、効果があったような、ないような、、、
そんな私でも今、続けていることがある。
朝のノート活動
思い浮かんだこと、全てノートに書き出す作業。夜に書く日記ではなく、朝に、ひたすら頭の中にある、考えや、言葉を書き連ねる。絵でもなんでも、悪口もあり(笑)なんでもあり。
書いているうちに、心境が変化してきた。
今の自分、過去の自分、これからの自分が、つながって、見えてきた。
エイジングを感じるお年ごろ。これからは、老いばかりが自分につきつけられ、いろんなことを諦め、女でいることも忘れてしまうのか。少しずつ増える体重。携帯の写真に映り込んだ二重顎。シミとシワの数。
そんな不安と、失望を胸に、子供の未来だけを夢見ていた。そのために、子供にも過干渉になりがちだった。。そして今更、自分の夢を追うなんて、恥ずかしいこと、いけないことだと、自分が夢を見ることに蓋をしていた。
子育ては人生の最大のお仕事。と母が言った。それをさせて頂けるのはありがたいことだよ。と。しかし、子育ては、いずれ落ち着き、子供は子供の人生を歩き出す。気づけば、老いを不安に思う自分が残る。
その先は・・・(T . T)
そんな不安からノートは私を救ってくれた。
私だって、今更でも夢を持っていい!
今更、、、て言葉を20歳くらいから、いや、16歳くらいから自分に言ってきたように思う。そして、周りから、今から?、、、それは遅すぎない?って、そう思われるのが恥ずかしくて、行動に移せなかったことが多すぎた。
今年5月、ノートを書きだして割とすぐに心境の変化があった。
今更なんてない!いつからでも夢をもって生きていこう!
そう思ったら、エイジングの不安がどこかへ行ってくれた。
いい匂いの保湿クリームがあれば、私は大丈夫。
昨日までの自分より、今日が一番、大人で綺麗。って言いたい。
↑なんかのCM?
しみもしわも、全部受け入れて。それが私なんだと。
そう思えるようになってきた。
そういえば、ファッションだけど、
昔よりおしゃれ上手になってるきている気がする・・・伸びしろやね。
しみもしわも、ご愛嬌で受け入れていこう。